朝日新聞「「春蘭の里」の民宿は昔ながらの能登の民家」 2010年01月03日 |
里山を背負って黒瓦に白壁の古民家が点在する。 田畑をぬって流れる小川にはヤマメが泳ぎ、水車が回る……。 まるで30、40年前の懐かしい風景。 奥能登・能登町の中心部から約10キロ、 そんな山あいに、農家民宿24軒のネットワーク「春蘭(しゅん・らん)の里」はある。 中心となる宮地・鮭尾地区は、携帯電話すら通じない200人ほどの集落だ。 その里に、自然と田舎暮らし体験を求め、年約3千人が訪れる。 ◇ 里の誕生は96年。 両地区は農業以外に目立った産業はなく、1965年に502人いた住民は半減していた。 「このままでは集落がなくなってしまう」。 地元農家ら7人が実行委員会をつくり、 地域に自生する春蘭の販売を皮切りに、山里の魅力を発信。 多田喜一郎さん(61)が民宿第1号「春蘭の宿」を始めた。 最初は「名所や見どころもないのに、だれが来る」と言われた。 こだわったのは、地元ならではのもてなしだ。 田植えや川遊び、まき割りからする五右衛門風呂体験。料理は山菜、野イチゴ……。 いわば、あるものを生かしきる天然のテーマパーク。 「こんな山あいでも『買ってきた刺し身が一番のごちそう』という考えが根強い。 でも、たくあんでも地元の大根で漬けたモノが一番おいしい。 都会のお客さんも地元のモノを求めているはず」と多田さん。 客はくつろげるようにと1日1組限定。食後は、囲炉裏を囲んで客との会話がはずむ。 2人で泊まれば、2食付き1人1万500円。 高い山や大きな川はなくても「また来たくなるね」と言ってくれる。それが励みだ。 03年の能登空港開港など追い風もあり、メンバーの民宿は周辺にも広がった。 宮地地区では06年4月、廃校が宿泊所に生まれ変わった。 修学旅行生など一時に80人の子どもを受け入れている。 ◇ 地域もちょっと元気になった。 多田さんの隣家、宮田久治さん(82)すいのさん(79)夫妻も昨年、本格的に民宿を始めた。 3人の子が独立、ずっと二人暮らしだった。 最初は、宿泊所掃除、ついで素泊まりの宿泊客を受け入れてみた。 「よそから来たお客さんの話を聞いて旅行した気分になれる」。 昨春、能登半島地震で傷んだ自宅の改修を機に、1千万円かけて民宿対応にした。 玄関には漆塗りのアテの木、食事を出せるように台所も手を入れた。 食材の買い物のため、すいのさんは昨夏、運転免許証まで取った。普通は運転をやめる年齢。 「長女には怒られましたが、教習所では18歳の友だちができました」と笑う。 七尾市に住む長男(55)も、定年したら戻ってきたいと言ってくれた。 造園業を営んでいた久治さんも「のとキリシマツツジやサツキで散策路を作りたい」と張り切る。 地域に新しい仲間も加わった。 昨年9月、埼玉県から見供(み・とも)めぐみさん(38)が、 ホームページの管理や宿泊予約の担当として実行委事務局に来たのだ。 東京でOLをしていたが、 都市と地方の交流を図るNPO法人「田舎時間」(東京都)の活動で能登を気に入り、転職を決めた。 見供さんは「能登の魅力は人。よその人でも家族みたいに思ってくれる」と話す。 まだ、それぞれの民宿の収入は月十数万円ほど。 多田さんは「40万円くらいになれば若者も戻って来ることができる。 客をさらに増やして農業を守り、お年寄りが安心して暮らせる地域にしたい」。 夢は膨らむ。 |