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日程ネズミリンゴ割り絵描きさん続く
田舎時間を終えて,,,

田舎時間を思い出す
米倉広毅/よねくらひろき

27歳,男性,会社員,神奈川県在住

土曜日午前4:30。陽はまだまだのぼらず空気もしんと冷えきったこの時間帯に、一日のはじまりとして家を出発することなんて普段あるはずもなく、そのあまりの非日常さに否応なく気分は高揚。それが田舎時間という名の2日間のはじまり。が、サラリーマン稼業の身は睡魔にあっさり完敗です。東京発の新幹線移動中はひたすら睡眠。揺らされ起こされ到着した山形県は上山。山形到着かー、と声をあげた瞬間、市役所井上さんお出迎えカーが僕らを果樹園へ拉致直送(パッケージツアー以上のオペレーションの精密さでしたが、2日間という時間的な制約と受け入れ側の親切によるものです。あしからず)。寝ぼけまなこに映る車窓の風景は、実家の神奈川県郊外を×1.5スケールに拡大しただけで何も変わらず、東京からの距離的実感が全く涌かない。何か奇妙に乖離した感覚。地方都市のありがちな風景の画一性ゆえか、自分の足でゆっくりと街を全く歩き回っていないためか、それとも山形県という場所が僕が頭の中でイメージしているより僕らのずっと身近にある(何も変わらない)からなのか。
到着した果樹園では、早速リンゴの収穫をお手伝い。林檎をもぎながらふと気づいたこと。①自分の「知っていた」林檎と実物が全く違っていたこと(絵本に出てくる林檎の木とは違い、実際の木が想像していたよりも華奢で、実もしな垂れた細い枝の先にぶらさがるようになっていた)、②林檎をもいでる時間は何も疑問を持たず作業に没頭していたこと(単に初めての体験の新鮮さ故か、食べ物を栽培するということに対する全く根拠のない絶対的な信頼故か)、③実を収穫するに当たり、高い所は脚立を利用したりと大変なので低い所になっている実ばかり取ろうとする自分がいたこと(情けない限りです)。農作業をしながら(受け入れ側の農家の方々にしてみれば作業ですらないのでしょうが)、農作物や農作業と自分との距離感や、普段慣れ親しんでいないものに対した際に現れる自分の行動の特質を改めて実感します。また、ただ体を動かすだけでなく、眼を動かし頭を運動させることで心身ともにリフレッシュもしました。さらには、農作業や農園に対する現実感覚というのか、TVや雑誌は当然のこと、ひいては電車や車から眺めた感覚によってつくられた「農業」というものとは全く違った、手や足で体験した農作業への感覚も出来てきます。たった一回で何を言うかとのお叱りはもっともですが。
また、これは上山市の風景についても言えると思います。早朝の上山駅からの車窓の風景には何か奇妙な違和感があったのですが、果樹園から今回の受け入れ先である長沼さんの作業場(収穫した林檎の箱詰め等を行う場所で町の中心部からは少し離れています。)への徒歩での帰路には、民家の軒先にごく少量の干し柿がぶらさがっていたり(自家用のためでしょう)、様式の異なる祠やお地蔵様がちらほらと現れたりと、車窓からは見逃してしまっていた風景、生活感覚や時間の堆積が次々に立ち上ってきます。ものごとや風景を眺めるには、それぞれ適した速度があるものだと改めて実感させられます。こういった実感は地方特有のものでもなんでもなく僕らの普段の生活にも当てはまることで、山形県で農作業を行ったことで改めて再認識したということに過ぎないのですが。そういう意味では神奈川も山形も変わりません。
一夜、その作業場で蕎麦うちをしながら長沼さんの作ったラフランスを頂きました。その滋味あふれる洋梨の味に感じ入るだけでなく、その食べ方、使い方についても色々と教えて頂きました(洋梨をすり潰して白ワインかシャンパンを加えると美味しいそうです。洋梨のベリーニといったところでしょうか)。単に農作物の生産地としてだけでなく、その扱い方や調理の方法等にも厳しい目をもっているこのような方々が、この上山市という地方都市に、生産者としてだけでなく一住民として、果たしてどの程度存在するのでしょうか。
まあいずれにせよ、都会のバーではこの時期洋梨もあまり見なくなりました。今日あたり、お土産に頂いた果物を手に足を運んでみようと思います。

中山誠基(なかやませいき)

30歳,男性,小売人事,東京都在住

農業は都会人にとってエンターテイメントである。

田舎時間4回目の参加にしてはじめて「働いた」と言えることのできる充実感がある。
農業の醍醐味を参加者に体験してもらいたいという長沼さんの気遣いもあるが、この充実感はいったい何なのだろうと考えてみた。

第1に、人は視点に高さと広さを与えることで新しいものごとに気付くことができる。
例えば、スーパーで枝が付いているみかんをみつけたとき。もっと言えばその枝に葉っぱが付いていたときの喜びは特に都会人の誰もが味わう要素である。
みかんに枝がついている。葉っぱがついていることはごくごく当たり前なのに、いつの間にか都会生活ではめずらしいことになってしまっている。
便利を追及するあまり、その代償があることをついつい忘れがちのようだ。
恥ずかしながらリンゴを幹からもぎとる感触を30歳にしてはじめて体感した。
こんなに歪で愛らしい形をしているリンゴたちの存在を今まで無視していた己に気付かされた。都会のスーパーで見かける個性のない整ったリンゴたちは1割から2割程度だろうか。
果樹園から我々の口に到るまでの過程で様々な情報がそぎ落とされ、世の中で優秀と呼ばれているらしきその果実たちはあたかも「私たちがリンゴの全てよ」と言わんばかりに真赤に日焼けした肌を主張する。果樹園にそんな赤いリンゴはない。真赤に日焼けしているならばその過程を疑うべきだ。リンゴの木を見上げ、そして見下ろし、個性豊なリンゴをモクモクともぎ続ける。
この土、この水、この空気、この樹木、この幹、この葉っぱ、この匂い。目の前に生っているリンゴの形にはそう生るべくして生った原因がある。その結果を五感で体感しもぎ採ったリンゴをその場でかじり味う。ジュウっと湧き出る果汁が口の中に広がり、その体感を確信へと導いてくれる。
くどいがもう一度言う。人は視点に高さと広さを与えることで新しいものごとに気付くことができる。

第2に、人はひとと出会うことで、そのひとのことが好きになる。
上山に悪い人はいないのではと疑いたくなるほど、出会うひと、出会うひと好きになる。
出会う夫婦、出会う夫婦がまた絶妙なバランスなのである。そんな偉そうなことが言える立場ではないが、不便な農業を営むためには夫婦の協力は必要不可欠。
その日頃の助け合いが絶妙なバランスに成長していくのであろう。どうやったらそんなに爽やかに生きていけるのだろうか。と尋ねたところで、そんな当たり前のことをいまさら問われても良い答えは返ってこない。ごくごく自然なことなのに都会人からしてみれば、それは神業のごとく見えてしまう。
どちらが何を主張するでもなく、気持の良い風とともに流れる時間。まさにあうんの呼吸。
まるで我子のような思いやりを授けられ、我々はふと気付く。またこの地に帰ってきたい。
帰ってきて、またこのひとびとと触れ合いたいと。便利な社会は作り手と消費者を欠け離しがちである。ミュージシャンが楽曲を制作し、監督が映画を制作するように農家も果実に魂を注入している。なのになぜ、人として当たり前のコミュニケーションが疎外されてしまったのだろう。これは間違っているのではないか。その誤りを確認したくて幾度も上山に来ているのかも知れない。そしてひとに出会いその誤りが確信であることを知りほっとする。上山で食べるものは全ておいしい。確かにおいしい。でもそこには温かい作り手のぬくもりがさらに美味へと近づけてくれているのであろう。
くどいがもう一度言う。人はひととであうことで、そのひとのことが好きになる。

第3に、人は身体を動かすことで、その身体性を再確認する。
初参加から感じていたことであるが、上山で出会う方々はみな手がとてもきれいである。
きれいというのは手タレのようなか細い都会のとは違う。程よく肉厚で程よく硬い爪。
まさに使い込まれたきれいな手をしている。土と水と日頃触れている環境が身体に影響しているのであろう。
身体の中で最も脳に刺激を与えるセンサーは実は手である。その手を使い込むことで人は賢くなるのである。視覚に騙された都会人にとってか細い手を美しいと誤解していることこそ致命的な欠陥だ。
もちろん農作業はしんどい。身体もものすごく疲れる。しかし都会の疲れとはどことなく違う快感がある。
身体を使うことの喜びがある。都会の視力に偏った疲れとはえらく違う。
翌朝、顔を洗って鏡を見ると、穏やかな己の顔に驚く。1日中椅子に座り頭だけをフル回転させようとしている都会人にとって、脳が身体の一部であることを再確認している瞬間なのかも知れない。日頃忘れていた刺激が脳には心地よいのだろう。まさに歪んだ体のリハビリテーションなのである。
くどいがもう一度言う。人は身体を動かすことで、その身体性を再確認する。
文字の情報が増える一方、そぎ落とされる身体的情報。そんな日常から離れて農作業を体験しかつての人類が味わっていた未知の発見に感動する。
つまりは農業は現代の都会人にとっての「エンターテイメント」になり得ることを証明しているのではないだろうか。
私はその確信を求めて、これからも上山に通い続ける。

廣本直子

29歳,女性,画家,神奈川県在住

初めての参加にあたり、事前に観たHPの様子などから、かなりの期待で望んだのですが膨らむ想像通り、それ以上の驚き満載のあっという間の2日間でした。
お世話になった漆山さんのお宅ではおいしいもの尽くしで・・・新鮮な野菜の様々な手料理でおもてなし頂き感無量でした。
農作業はある程度はきつい作業を覚悟して臨んだので、辛いとは感じませんでした。

見知らぬ遠い田舎に初めて訪れ、そこに暮らす方々の生活にすぐさま入り込み農作業を体験できる・・・こんなことは自分ひとりの短い旅では、決して体験出来ない事だと思います。

晩秋の陽射しの中で、むせ返るような土の匂いを体一杯に吸い込んで全身を使って農作業。
初めて知ることばかりの楽しい会話も途切れると、自分ひとりのなかに入ってただ、とつとつと作業していました。日は少しずつ傾き、雲はゆっくりと流れて行き―その真っ只中で手を動かしていると、普段感じる事のない安心感に包まれる気がしました。
ずっと何百年もみんなこうして来たんだし、私もこれでいいんだ。意味のないものも時間も世の中にはないんだなぁ・・・と漠然とおおらかに感じるような空気でした。

何もわからず参加してみた私ですが、今回得たものはお金にはちょっと替えられないぐらい貴重なものだったと思っています。
今後の田舎時間がどんな風に変化していくのか、まだ想像もつきませんがこの稀有なスタイルをずっと保ち続けて、四季折々魅惑の上山、田舎時間を楽しみにしています。

関根 万里奈

28歳,女性,民間シンクタンク研究員(環境政策、地域振興分野専門),東京都在住

田舎時間から帰った翌日、スーパーに買い物に行きました。いつも行っているスーパーは入口付近に果物売場がありますが、そこでおいしい果物に出会ったことがないので、大抵素通りしていました。しかし、その日は、田舎時間でお世話になっている果樹園でリンゴの収穫をお手伝いさせていただいたこともあり、リンゴと、すでに収穫が終わって販売中のラ・フランスを探しに行ってみました。すると、大きさの揃ったバラ売りのリンゴと箱入りのラ・フランスが陳列棚に飾られていました。どちらも山形産。「売っているリンゴはみんな柄が付いているなぁ。」「ラ・フランスはいただいたのよりも小さいなぁ。」収穫時に伺った話を思い出しながらいくつか確認したら、帰り際にいただいたリンゴが急に食べたくなりました。

帰宅してリンゴを一つ手に取ると、両手でリンゴを真っ二つに割る「リンゴ割り」に再挑戦したくなりました。長沼さんのおばさんの得意技(?)で、参加者全員がラ・フランス3kgの景品をかけて挑戦したものの及ばなかったものです。コツを思い出しながらやってみると、メキメキと音を立てた後、五分後にはリンゴが二つに割れました。運が良かっただけでしょうが、とてもうれしくなりました。

割れたリンゴを食べながら、私たちを受け入れてくださった長沼家のみなさん(特に、おじさんの屈託のない笑顔)や、リンゴの収穫のお手伝いにいらしていたみなさんの顔を思い出しました。僭越ながら、これまではその生産者を思いながら食べ物をいただいたことがありませんでした。生産者と流通ルートの末端にいる自分とのつながりがあまり感じ取れませんでした。でも、今回初めて田舎時間に参加して、快く出迎えってくださったみなさんの温かさに触れて、実際にお作りになったものをいただいて初めて、食べ物を手にすることができることの有り難さを実感しました。割ったリンゴの蜜と水分が喉に染み渡ったとき、自分の心と体が満たされたことと新たな発見ができたことに感謝せずにはいられませんでした。

na

23歳,男性,消費材メーカー勤務,神奈川県在住

初参加。
地中30センチくらいに埋まっている唐いもの収穫(腰がつらい)と、乾燥して叩くとマメが飛び出す大豆の脱穀(腕がつらい)を手伝わせてもらいました。畑仕事の喜び、素材の味がする料理、魅力的な農家の人々、静かで澄んだ空気。どれも田舎時間のウェブサイトの写真と文章から想像はしてはいましたが、全くその通り。充実した2日間でした。(そしてやっぱり次の日は筋肉痛。)

心地良い疲労感を感じながらずっと思っていたのは、農家の生活が思った以上に豊かで且つ忙しいということ。
「豊か」というのは、食事でも自然でも何でも、「本物」が至る所にあったという意味。都会ではそれが、「よくできた偽物」だったり、「バーチャルなもの」だったりする。「実は農薬が使われている有機野菜」とか、「名湯気分を味わえる温泉の素」とかね。
で、豊かなだけじゃなくて「忙しい」。農作業って本当に重労働でした。働く働く。そしてみんな力持ち。リンゴを素手で真っ二つにできちゃう農家のお母さんと、めいいっぱい力込めても割れない自分との違いをまざまざと見せつけられました。(学生時代は握力50キロあったですけどダメでした。コツも必要みたい。)

最後に、今回お世話になった上山の皆様が、地方農家の中でも経済的に成功していて、かつ都会者を受け入れる意欲のある人たちであるということを忘れないようにしたい。たった二日間の農業体験で、日本に数百万人いる農家の生活全てを理解したつもりにならないように心にとめおきたい。都会のサラリーマンにもいろいろな人間がいるように、農家の方にもいろいろな人がいるんだと思います。

また行きます、田舎時間。
次回は写真にも力入れたい。

真野秀太

27歳,男性,総研勤務(地球温暖化問題調査に従事),東京都在住

4度目のかみのやま訪問。今回は長沼さんの果樹園でリンゴもぎ。

□ 四季
いつものように朝5時に家を出て6時半の新幹線に乗る。休日なのにいつもよりずっと早起きして、実は朝起きた瞬間は後悔します。「何でせっかくの休みの日なのにこんなに早起きしなきゃいけないんだ」って。
どうにか新幹線に乗り込んで、かみのやま温泉駅に着くと、ひやっとした空気と透明感のある空がいつものようにお出迎え。そして、本当にうれしくなる。「がんばって早起きして良かった~」って。
家々の軒下には干し柿が吊してあって、東京にあるようなふつうの家のベランダにまで干し柿が吊してあって、地面には一杯の落ち葉、遠くに望む山々は黄色く染まっている。いつの間にか秋がやってきていました。

□ 収穫
今回はリンゴもぎのお手伝いです。
収穫作業は自然の力と人の知恵と努力によって得られる”ご褒美”。それまでの地道な作業があってようやくたどり着くもの。
4度目にして次第に欲が出てきました。今度は一つの作物を最初から最後までみてみたい。
僕らの農業のイメージは田植えだったり、リンゴの収穫だったりしますが、農業っておそらく9割9分、田んぼの雑草取りだったり、リンゴの木の徒長枝切りといった地味な作業なんですよね。
一年間そういう過程を経てようやく今日の収穫にたどり着くんだって分かるように少しだけなりました。

□ 責任と信頼と
誰だっておいしいお米や果物は食べたいと思います。
でももう一歩進んで、最近の眼鏡みたいに”○○弥太郎作フレーム”と、「○○さんのリンゴが買いたい!」と思うようになったら、画期的なことじゃないでしょうか。
作る人も△△さんを想像しながらリンゴやお米を作って、買う人も○○さんが作ったんだと顔を思い浮かべながら買う。
農協でまぜこぜになったものよりも、作る人は責任感をずっと感じて作るだろうし、買う人の持つ信頼感もずっとあるのではないでしょうか。

□ おまけ
蕎麦打ち初心者の皆様にアドバイス。これでもかって言うくらい細く切るときっとみんなに文句を言われずに済むでしょう。

長沼さん、ちずさん、今回も大変お世話になりました。また春にお会いしましょう。

日程ネズミリンゴ割り絵描きさん続く
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