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日程taro.冬眠カエルスーパー農道続く
( 撮影・文章:taro. 画像加工・編集:貴山敬 )
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「初参加、田舎時間。」
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4月17日、午前6時10分。東京駅。
友人のSに奨められながらもなかなかタイミングの合わなかった「田舎時間」についに参加することになった。

つばさ101。山形新幹線に乗るのは初めてだった。その車体の細さと、途中に踏切があるのに驚きながら、9時過ぎに「かみのやま温泉駅」へ到着する。駅には市役所から二人の井上さんが迎えに来てくれていた。男性の井上さんと、女性の井上さん。ここから参加者は二班に分かれることになる。 クリックすると大きな画像が出てきます。

それぞれの車に向かうべく、駅の構内を出ると桜の木が見事にその花を咲かせていた。そう、4月のなかば過ぎのこの季節は山形ではちょうど桜の見ごろなのだ。思いがけぬおまけに恵まれ、旅(?)の幸先は甚だいいものに感じられた。 クリックすると大きな画像が出てきます。

私は男性の井上さん(ちなみに二人の井上さんに縁戚関係はないよう)の車に乗せてもらい、鏡さんという方のお宅に向かった。
今回の「田舎時間」の参加者は7名。初日は二班に分かれての作業で、一つの班が『柿木の皮むき』などを行い、もう一つが『花の定植作業』をすることになっている。向かっている鏡さんのお宅は花農家であり、私は『花の定植作業』なるものをやることになる予定になっている。

桜の綺麗な道を選んでくれた井上さんの車はほどなく鏡邸に到着する。ご主人と奥さんに出迎えられ、一服をすると鏡班の4名は程なく花の定植作業にかかる。・・・はずだった。しかし実は参加者の一人、Kさんが集合場所の東京に向かう途中電車を乗り過ごしてしまい、到着が大幅に遅れてしまうことになったのだ。
鏡さんは農作業の開始をKさんの到着を待ってから始めることに決めた。とりあえずお茶を飲みながら一服をする。
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居間の卓を囲むと、お茶と茶菓子がでてきた。「かしわ餅、ゆべし、なただんご」。鏡さんは丁寧にそれぞれの餅の説明をしてくれたあと外を指差した。 クリックすると大きな画像が出てきます。

「あそこに柏の木があるの見える?電信柱の後ろの葉っぱが全部枯れて茶色くなっているやつ。あれが柏の木なんだね。柏の木は葉が枯れても次の芽がでてくるまでずっと葉が落ちないでそのままでいるんだね」 クリックすると大きな画像が出てきます。

かしわ餅は柏の葉の殺菌作用を利用しているものだという認識はなんとなくあった。しかし、かしわ餅がなぜこどもの日の菓子の定番となったということに関しては何も考えたことはなかった。この話を聞いてはっとさせられる。きっとこの柏の木の特性ゆえにこどもの日の餅となったのだろうと気付いたからだ。次世代の芽を温かく待ちながら見守る親の思い、そんなものがかしわ餅には秘められているのだろう。日本人生来の細やかな感覚に感心するとともに、日本人の生活は本来自然と密接に関わりあっているものだということに気付かされる(帰ってから調べると、本当は「新芽がでない限り古い葉が落ちないことから、家が絶えない縁起のいい木」というところからきているらしい)。


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「順調・デルフォニウムと俯瞰・上山市。」
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一服し終えると、参加者はとりあえず作業のできる格好に着換えた。簡単に納屋などを案内してもらったが、すぐには作業に取り掛からないでみなで車に乗り込む。鏡さんが上山を案内してくれるというのだ。

まずは鏡さんの畑(ビニールハウス)の一つに向かう。そこにはインゲンが植えられていた。
「インゲンの蔓が巻きつくときは、いつも左巻きなんだね」
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はるか昔に理科の授業でならったのか、原っぱで過ごした経験を通じてかは知らないが、自然界にはそのような不思議な法則のようなものがあることをかつては私も知っていた。しかしそうした自然の摂理とあまりにも隔絶された生活を過ごしてきてしまっている私には、そうした法則の存在自体がひどく懐かしいものに感じられた。

南半球では右巻きということとかあるのですか。懐かしさにかられ間抜けな質問をする私に鏡さんは破顔しながら、
「南半球のことはわからないね。でも日本だとなぜだか必ず左巻きになるんだね」
とだけ答えてくれた。

隣のハウスはデルフォニウムの花。丈が長く綺麗に花が鈴なるので、最近ウェディングなどで人気が出てきている花だという。ハウスに入ると、花を咲かせる前のデルフォニウムが一面生い茂っていた。中に進んでいくにつれ、にわかに隣にいた参加者のOさんの表情が晴れていったのに気付いた。実はこのOさん、昨年の12月の田舎時間でまさにこのハウスのデルフォニウムの植え付け作業を行っていたのだった。 クリックすると大きな画像が出てきます。

ここで今回の鏡班のメンバーを紹介しよう。

鏡班は4名。今紹介したOさんはあまり口数は多くなく、大人しい印象があるものの、スノーボードなどで何度も蔵王は訪れているというアクティブな面もある。また日頃も山々でトレッキングしているため、都人士としては珍しいほど草花に詳しい。Kさんは主催者貴山さんの会社の同僚で、やはりOさん同様昨年12月のデルフォニウムの定植作業に参加している。今回はその時に続き2度目の参加。今日ちょっと電車に乗り遅れてしまったのはこのKさん。そしてOさんKさん私とともにもうひとり鏡班を構成するのはTちゃん。昨年の10月の田舎時間に次ぐ二度目の参加。前回は乳絞りなど酪農作業を体験したという。いつも絶やさないニコニコとした笑顔が印象的だ。

自分の身の丈ほどまでに成長したデルフォニウムを前にOさんは相好を崩している。わずか四ヶ月で自分の手で植えた小さな、小さな苗がこんなにも育っている。その感激。そしてその成長は、自らがその苗の存在を忘れていた時でさえ、片時たりとて鏡さんによって忘れられることなく手間暇と愛情を注ぎ込まれていたことを雄弁に物語っている。それらの喜びや気付き。田舎時間のカタルシスはそういうところにもあるのだろう。 クリックすると大きな画像が出てきます。

畑をでると鏡さんは車を家とは反対方面に走らせた。住宅地として開発中の小高い丘に登って、市内を眺望しようというのだ。

丘からは確かに上山市が一望できた。正面の蔵王を中心に市は四方きれいに山々に囲まれた盆地をなしていた。蔵王のゲレンデ、遊園地のリナワールド、地元のワイン工場、斉藤茂吉記念館、そして市街地。次々と指差しながら鏡さんは説明をしてくれた。 クリックすると大きな画像が出てきます。

するとその穏やかな景色の中、ひとつだけ違和感を感じさせるものがあった。一棟だけ高層ビルが建っていたのだった。何かと訊ねると、それは41階建てのマンションとのことだった。聞けばそこはある工場の跡地で、あるデベロッパーがあっという間に立ててしまったという。周囲に住宅地があるわけでもないので、とりわけ建設に際してトラブルは生じかなったということだから外野があれこれいう話でもないのだろうが、一つだけ頭を飛び立たせたそのマンションには異物感を感じずにはいられなかった。 クリックすると大きな画像が出てきます。


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「胡瓜。おいしさの話。栽培の話。」
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鏡さんのお宅に戻ると、鏡さんは皆に用意してくれていたビニール手袋と一緒に私にはゴム製の長靴を用意してくれていた。そして女性陣には100円ショップで買ったという麦わら帽子を日焼け防止に配ってくれた。 クリックすると大きな画像が出てきます。

参加者は自宅に併設されている畑に向かう。いよいよ農作業の開始だ。午前の残り時間は少なかったのだが、午後の本格的な植え付けの前に軽く練習だけでもしておこうということになったのだ。

今回われわれが植え付けをするのはトルコキギョウ。リンドウ科の可憐な花で、8月の誕生花としても知られている。植え付けの方法自体は簡単だ。畑上に被せられているビニールの植えるべき箇所にはすでに丸く切り抜かれ土が顔を覗かせている。その中央に指で程よい穴を開け、そしてピンセットで苗床から取り出した苗を植えていくだけの作業だ。 クリックすると大きな画像が出てきます。クリックすると大きな画像が出てきます。

作業自体はとりわけ難しいわけではない。しかし、しゃがんだままずっと腰を曲げて行うその作業の負荷はジワジワと腰にくる。トルコキギョウだけで年間3万本以上の植え付けを行うという。気の遠くなるような作業だ。しかし私たちの午前中の作業は畑に水を撒き(土が乾燥しすぎていたため、指で空けたそばから穴が崩れてしまったのだ)、簡単に練習だけをしただけで昼食の時間を迎えた。 クリックすると大きな画像が出てきます。

作業が終わる頃にはKさんも合流しており、皆で昼食を摂ることになった。

昼食のメニューは以下のとおり。
ご飯(白米)、おすまし(韮のたまごとじ入り)、エビフライ、だし、オカヒジキ、うるい、たまこんにゃく、そして生の胡瓜。エビフライ以外は全て、地元で採れたもの。昼から相当なご馳走だ。この中の「だし」は胡瓜、ナス、長芋、茗荷のみじん切りを出し汁で和えたもの。納豆やとろろなどのようにご飯にかけて食べる。美味。たまこんにゃくがあんなにも出汁の味を染み込むのか、と驚く。
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驚きはそれにとどまらない。最近では東京のスーパーでも入っているというオカヒジキのシャキシャキした触感、汁の中の韮の柔らかさ。地元で採れた野菜は次々に新鮮な驚きと感動を与えてくれる。しかし何より感動を覚えたのが胡瓜だ。 クリックすると大きな画像が出てきます。

実は午前中も胡瓜の浅漬けを出してもらっていた。胡瓜は牛蒡と並んで上山市の名産。浅漬けをつまみながら「本当はもぎたてを齧るとおいしんだけどね」というのを聞いていた鏡さんの奥さんが用意してくれたようだ。 クリックすると大きな画像が出てきます。

もぎたての新鮮な胡瓜。イメージしていたのはカリっとしたハリのある食感。しかし味噌をつけて実際に齧った胡瓜の皮は存外柔らかく、カリっといったような感じではない。弾力をもってしなった皮がはじけると、中からは瑞々しい果肉が口に広がっていく、という感じだ。濃い。とにかく味が濃密だ。エッセンスが凝縮されているような感じ。きっと辞書に胡瓜の味、というのを載せなければいかないのだったらこれが見本になるであろう、というような味だ。無意味な水っぽさがなく、ただただ胡瓜。鏡さんが私たちに食べさせたくて、わざわざ買って来てくれたのも頷けた。

鏡さんは胡瓜について語りだす。

「東京で食べる胡瓜は収穫して、集められて、それから運ばれてその市場から出荷されて店に並ぶわけだから、まあ少なくとも3日は経っているからね。やっぱり採れたての方が美味しいよね。
「みんなが胡瓜としてみるものは、大体表面がこういう風にツルツルに光っているでしょ?でももともとの胡瓜はこうじゃないんだね。元々は表面がもっと白茶けているの。それはブルームというんだけど、それじゃ高く売れないし、日持ちが悪いからこういう風にツルツルにするの。こういう風にするために、胡瓜のをかぼちゃの苗に接ぎ木するんだね。かぼちゃの苗に植えるとこういう風にツルツルになるんだけども、本当は胡瓜のままの方が美味しいんだよね」

胡瓜のことを話す鏡さんの口調は熱を帯びる。そこで、胡瓜は作っていないんですか、と訊ねてみると。

「昔は作っていたんだけれどもね、成長が早くて大変だからやめちゃったの」

鏡さんのその言葉を受けて堰を切ったように奥さんが続ける。

「そう、本当に成長が早いから。朝と夕の二回収穫しなくちゃいけないのよ。放っておくとどこまでも大きくなっちゃうの」

どれくらい大きくなるんですか?別の参加者が訊ねると奥さんは答える。

「いぐらでも大きくなっちゃうのよ。ずっと放っておいたらこれくらいにはなっちゃうね」
といって彼女が指し示した大きさは、ちょうど茶筒くらいの大きさだった。

驚いているわれわれを尻目に鏡さんは続ける。

「やっぱり胡瓜とかぶどうは作るのが大変だからね。ぶどうなんかは一房、一房液につけて、カバーしてあげないと駄目だしね」

鏡さんの話は続く。農業の色々な技術的な話しをたくさん織り交ぜながら。

そのように農業を語る鏡さんの話を私は面白いと思い魅かれた。確かにこの田舎時間のプログラムは「農作業体験」を大きな売りにしている。しかし正直いうと私は農業自体には特別関心をもって参加したわけではなかった。なんとなく山形という東京とはまったく違う空気が流れていそうな土地の時間を体験したいだけだった。ところが鏡さんの話す農業の話には思わず興奮した。農業の経験則を語る鏡さんの言葉は実践的なバイオテクノロジーに他ならなかったからだ。今から10数年ほど前に農業=バイオテクノロジーとしてもてはやされかけた時期があったことを思い出した。なるほど、こういうことだったのか。技術としての「農業」に関心を抱く。

農業の話が一段落すると私は庭の池に鯉が泳いでいたことを思い出した。その中に一匹ずいぶん大きなものがいた。そのことに触れると鏡さんは
「いやあ、今いるのはみんな小さいのばっかりだよ。去年、大きいのは全部食べられてしまった」
という。
食べられた?不思議に思い聞き返すと、なんと鷺に食べられたという。普段は田圃にいる鷺が冬場にエサに欠くと民家の鯉を狙うことがよくあるという。のら猫ならぬ、のら鷺のいる生活。ここは山形県、上山市だ。


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「堆肥作りマンツーマン。」
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昼食を摂り終えると午後の作業にとりかかる。午前中まで黄砂のために曇っていた空も晴れあがり絶好の定植日和(?)だ。女性陣は午前のレクチャーを受けてすぐに定植作業にかかる。しかし一人男手の私は堆肥作りを手伝わせてもらうことになった。実は鏡さん、今年から実験的にメロン作りに取り組むことにしているのだった。そこでそのメロン畑用の堆肥を作るという。最近では山形県内の農家でも堆肥を自家でつくるところは少なく大抵購入するようだが、小規模な畑のための少量のものであるということと、今回の田舎時間のプログラムがあるということから自ら昔ながらの方法で作ることに決めたらしかった。 クリックすると大きな画像が出てきます。

敷地の空きスペースに藁が山積されている。これが堆肥となる。作り方はいたって簡単。この藁に満遍なく水を混ぜ、腐らせる=醗酵させるだけだ。醗酵を促進させるために粉末の窒素をまぶしながら。しかしこの単純作業の中にも色々な発見がある。藁は直径3m、高さ1mくらいの小丘状に積まれているのだが、この藁に満遍なく水をなじませるのにはかなりの水が必要になってくる。水はかけるそばから藁の隙間に吸い込まれていってなかなか藁をしっとりさせることができない。強風の吹きすさぶ中、水をかけ、藁を返し、そして窒素をまぶしながら作業は30分以上続く。面白いことに醗酵は藁の山の下部ではなく、上から20~30cmあたりのところで一番進むという。表面は乾燥しすぎてしまい、奥の方は十分な空気が入らないから、ということだ。そして醗酵が進んでいくと内部の温度は60~70℃くらいまでに上がることがあるという。そこで単純な疑問が湧いた。なんで鏡さんは堆肥の内部の温度を知っているんだろう?農家同士の勉強会のようなものはあるのか、と訊ねてみた。 クリックすると大きな画像が出てきます。クリックすると大きな画像が出てきます。

「いやあ、ないねえ。そういうことは本とかで調べるね。『堆肥のつくりかた』みたいな本はでているし。それから温度なら自分で温度計をさして計ることもあるねえ」

農業はテクノロジーであると同時に鏡さんが農業を心から好いていることを再確認する。

藁をひっくり返している小一時間は鏡さんと色々な話をすることのできるひと時でもあった。彼は野菜や花の単価や作成コストなどビジネスとしての農業などのことにまで及んで色々と話してくれた。話が息子さんに及んだとき、鏡さんはどこか達観したような表情を見せた。息子さんは現在自分で別の仕事を営んでおり、目下家を継ぐかどうかは不明だという。
「農業は大変だし、農業のこの面白さっていうのは実際にやってみないとわからないからね」

遠くで藁片が風に舞った。


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「定植トリップ。『農業/田舎時間』」
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堆肥作りの仕込作業がひと段落した。堆肥は時折水をかけながら混ぜ返し、2ヶ月ほどすると完熟(?)するという。次回訪れるころには立派な堆肥になっているのだろうか。

作業を終えた私は定植組みに合流した。さてここからいよいよトルコキギョウの植え付け作業にかかる。手順は先に述べたとおり。指で穴を開け、そして苗を植える。この単純作業が延々と続く。鏡さんが発泡シチロールで簡易な腰掛を作ってくれたので、通常の作業よりはずっと楽なはずなのだけれども、それでも腰を曲げたままの作業は決して楽な作業ではない。しかしこのような単純作業は脳内になんらかの物質を分泌する作用があるような気がする。アイロン掛けなどをしているときにも感じることがあるのだが、単純作業を一定のリズムである程度集中して行っていくと徐々に軽いトランス状態に入っていくことがあるのと同じだ。 クリックすると大きな画像が出てきます。

穴を開け、ピンセットでつまみ、苗を植える。作業にリズムが出てくると軽い高揚感に襲われる。そしてそういう状態では色々なことを考えてしまう。

まず考えたのは作業自体のこと。僕らが行う農作業はいわばママゴトに過ぎない。しかし実際の農家にとっての農作業というのは風雅でもなんでもなく、非常にリアルなものだ。植えて、無事育てられたものだけを出荷できる。そして出荷することがそのまま収入となっていく。よって効率なども求められる。それでも一つひとつ苗を植えていく作業というのはどうも工場などでの生産と決定的に違うような気がする。それはもちろん効率云々という問題ではない。手で植えていくと自然、無事に育ちますように、という気持ちが入っていくのだ。私のようながさつな人間でも苗の穴が深すぎでしまったりその逆であったりすると、ちゃんと育たないのではないかと気になってしまったりするのだ。そこが決定的に工業の生産と異なるところだと思う。そしてそれは一日体験の私のような立場ではなく、年間何万本も植える鏡さんにしても絶対に同じだと思う。

次に思ったのは広く「農業」というもの。なるほど、農業はかなり奥が深くて面白い。しかしそのことはあまり一般的に知られていない。他方で農業は驚くほど地道で、想像を超えるほど過酷だ。面白さと大変さのやじろべえの均衡がどこで取れているのかは知らないが、少なくとも一般的な農業のイメージは大変さの方に大きく傾いてしまっているのではないかと思う。
国家としての日本を考えたとき、農業はやはり重要なライフラインのひとつだ。その農業を保護するために政府は税制で優遇したり、関税などで保護したりしているけれども、そういった政策だけではあまりにも想像力に欠如しているように思う。もちろんそうした政策も行っていかなければならない。しかし同時に単純なもの作りの喜びを超えた、突っ込んだ農業の魅力、カタルシスを国民にしっかりと伝えていかないとこの国の農業は駄目になってしまうのではないかと思う。そんな危惧が頭をよぎった。

こういう風に農業のことに対して色々と考えたのは、恐らく鏡さんが色々と意図的に農業のことをたくさん話してくれたからだと思う。しかし、そのように一生懸命農業のことを話す鏡さんとわれわれ参加者(少なくとも私)の間に認識のギャップがあるのではないかと感じられた。具体的にいうと鏡さんも奥さんも参加者が農作業に興味があって来ているんだ、と思っていたように思えたのだ。特に奥さんは完全にそのように思い込んでいるようだった。しかし先にも述べたように、私自身農作業にはあまり興味がない。家の近く人小さな畑があったからといって別にそこで自家農園を開きたいとは思わない。もちろん結果として色々と話をしてくれたことによって私はかなり触発され、私自身が来る前に求めていたもの以上のものを得ることはできたのだけれどもだけれども、少なくとも私にとっての田舎時間とは農作業のことをさすのではなく、食事や風俗、そして地元の方とのふれ合いをも含めたトータルのExperienceのことをさすのだ。

Total Experience

なんだかわかったようなわからないような言葉に再度自問した。

「なんで来たのだろう?」

私はなぜ貴重な休日を費やしてまで山形くんだりまで来たのだろう?もちろん漠然とした答えは自分の中にあった。しかしどうすればそれを人に伝えられるかを考えた。

左手の人差し指で柔らかく耕された土に穴を開け、右手に持ったピンセットで苗床から苗を摘んで穴に入れる。そしてまた左手の人差し指を土に指す。作業を続けながら考えた。

そして自分なりにひとつの結論にたどりついた。誤解を恐れずにあえて言い切ってしまうのなら、この田舎時間は都会に住む一般人にとっての「ウルルン滞在記」なのだ。
「ウルルン滞在記」では何らかの技術なりの習得を目指してレポーターが修行にいく。しかしその体験を通じて人、文化、そして風俗に触れていくにつれ、レポーターは技術以外の何かを得ていく。そして最後その地を去るときには、その得た何かが地元の人との惜別にドラマを加える。視聴者はその追体験をする、という仕組みだ。
追体験ではなく実体験をしたいからこそ人々は田舎時間に参加する。こう言い切ってしまうことはこのプログラムを矮小化してしまうのではないかと危惧しながらも、やはりこのプログラムの本質はそこにあるのではないかと思った。


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「団子。定植。お別れ。」
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しばらく作業をしていると、「そろそろ休憩にしようか」という鏡さんの声が響いた。参加者は皆固定されて鈍い痛みのたまった腰をなでたり伸ばしたりして休憩時間を迎えた。

休憩の宴は納屋で開かれた。参加者は泥で汚れた手袋を取ると備え付けの蛇口からの水で手を洗う。手を洗っていると鏡さんがいう。

「水を飲みたい人がいるんだったら、はじめのうちに飲むと冷たくて気持ちいいから」

聞けばその蛇口は地下160mの地下水から直接ひっぱて来た井戸水だという。軟水のその水は冷たく、シンプルな味だった。 クリックすると大きな画像が出てきます。

さておやつの時間を迎えたものの、実は参加者は皆まだおなかが然程空いていなかった。というのも昼食は昼食を盛大に振舞われた上に、かしわ餅やゆべしなどの甘味も食していたから。しかしおやつの席にはアイスクリームと団子が用意されていた。ゴマと胡桃と枝豆の団子。一同少々戸惑いながらも、その厚意を受けてパクっ(団子3姉妹)。満腹の上山は続く。 クリックすると大きな画像が出てきます。
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休憩を終えると私たちは再度畑に向かった。

左手の人差し指で穴を開け、そしてピンセットで摘んだ苗を植える。この繰り返し。気付けば自分の作業の効率が上がっていることに気付く。それにしても全部で3万本も植えるのは気の遠くなるような作業だ。鏡さんの側らでは奥さんが黙々と定植を手伝っている。
やはり大変で人手のかかる作業なので、自然奥さんも手伝う。またどこの家庭でも子供たちもある程度の年齢になれば当然手伝うようになるだろう。家族が糧を得ていくために協力し合って生きていく。なんだかものすごく自然なことのように思えた。私の生活にはないリアルさに気付かされ私は少したじろいだ。生きる、ということを再考させられる。このプログラムは思いがけず大きなものを私に残してくれた。

休憩後の作業はみな効率があがり、休憩前に予定していたよりも多くの苗を植えることができた。 クリックすると大きな画像が出てきます。クリックすると大きな画像が出てきます。

それでもハウスを全て終えるまでには到底いたらなかった。しかしその後の予定もあったので、私たちは作業を打ち切った。 クリックすると大きな画像が出てきます。

作業を終えると、鏡さんは立派な山芋をもってきた。以前の田舎時間では山芋堀りもしたという。その立派さに感心していると、宿に持っていって調理してもらえ、と土産に持たせてくれた。 クリックすると大きな画像が出てきます。

農作業の後はもう一つのホストファミリー、冨士さんのお宅で夕飯をご馳走になることになっていた。鏡さんとはここでお別れだ。最後再びKさんも一緒にデルフォニウム畑を見に行くと、鏡さんに別れを告げ井上さんの車に皆で乗り込む。落ちかけた夕日を背にしたビニールハウスに別れを告げる。 クリックすると大きな画像が出てきます。


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「足湯。詩吟/民謡。餅。餅。餅。」
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冨士家に向かう前に一度宿泊先のはたや旅館に寄りチェックインをする。迎えがくるまで小一時間。本来ならゆっくりと風呂を浴びたいところだが、男の私ならいざ知れずさすがに女性陣はそうはいかない。そんな時に最適なものが上山にはある。足湯だ。足湯とは街のここかしこで見かけることのできる2m四方ほどの足をつけるための温泉だ。足湯の周りは腰をかけられるようになっており、ズボンの裾をまくるだけで気軽に足浴が楽しめる。勿論入湯料は無料。町の足湯では高校生くらいの今どきの若者グループと、おばあさんが同じ足湯に足を浸している風景がみられる。なかなかいい文化だ。かくして私は宿の温泉、女性陣は近くの足湯で束の間疲れを癒すことにした。

湯から上がる頃にはまた井上さんが宿から迎えにきてくれていた。今度は市役所の若い男性の菊池さんと一緒だった。車に乗り込み冨士さんのお宅へと向かう。

人や車の往来がほとんどなく、街頭もない町並みは月がでていないことも手伝っていたって静謐だった。しかし不思議なことにそれが当たり前のことのように受け止められる。10分ほど走った車は冨士家に着いた。

中に入るとすでに冨士班のメンバーは食事の準備を大概済んでいた。鏡班のメンバーを冨士さんへ紹介しおえると、冨士さんが用意してくれていた餅に皆でタレを和えていよいよ食事に移る。 クリックすると大きな画像が出てきます。クリックすると大きな画像が出てきます。

冨士家は普段は4世代の集まる賑やかな大家族だというが、この日はご主人とご子息が東京出張をしており、それに伴いご子息のお嫁さんと子供たちがお嫁さんの実家にいってしまっていた。よって宴はお母さんとそのご両親。それに加え二人の井上さんら町の人たち4名、鏡班の4名、そして冨士班の3名、Yちゃん、Iさん、貴山さんの総勢14名だった。

乾杯を終えると、冨士さんは一つひとつ献立を紹介してくれた。うるい、ぶたイモ、うこぎ、ウド、聞いたことのない野菜、山菜のオンパレード。どうやら貴山さんがホストファミリーに、できれば地元で採れたものを出してくれるよう頼んでいるということらしい。ありがたい計らいだ。それにしてもあまりにも知らない野菜、山菜ばかりだ。普段いかにスーパーマーケットの流通に乗っているものにしか触れていないかに気付かされ、そしてそれ以外にいかに多くのものが世の中に溢れているのかということに驚かされる。 クリックすると大きな画像が出てきます。
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地元の山菜に地元の酒(ただし上山自体には酒蔵はなく、上山で採れた米を近隣の酒蔵に委託製造をしている)でいただく。なんともいえない贅沢。聞いたことのない様々な山菜の味は特に際立って変わったものではなかったものの、どれも新鮮。やはり新鮮なものは美味しい。酒も進む。
また冨士さんの家の餅つき機でついてくれた餅には自家製の納豆とごまの2種類のタレが用意されていた。さすが搗きたてだけあり、餅は柔らかく甘い。普段たべる切り餅とは全く別の食べ物だ。
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時間が進んでいくにつれ徐々にみな打ち解けていった。冨士さんのお母さんは肝っ玉母さんという感じではないが、いつもテキパキと座を仕切り、一家はお母さんを中心に回っているように思えた。 クリックすると大きな画像が出てきます。クリックすると大きな画像が出てきます。

そのお母さんがおばあさんに「詩吟を朗じたら」と促す。それが東京からやってきた私たちに対するサービスなのか、それとも宴の席ではそのような余興がしばしば行われるのかまでは知らない。しかしいずれにせよそこには年長者に対する儒教的配慮もあるような気がした。

朗々と詩吟を朗ずるおばあさんの声はレッスンを受けているというだけあって、澄んだ美しいものだった。その声だけが静かに響き、時間がおばあさんを中心に粛々と進んでいく。こうした体験もふくめての田舎時間なのだ、とつくづく思った。 クリックすると大きな画像が出てきます。

その後も「民謡は日本人のフォークソング」と力強く主張するお母さんを中心に、独特のリズムの手拍子に合わせて民謡を謡ったりしながら夜は和やかに更けていく。

宴も終わりに近づく頃には参加者はみな腹を苦しい程に膨らませていた。冨士さんのお母さんがなんと3升分の餅を用意してくれていたのだ。一部はお土産用に取り分けてくれていたものの、大半は食卓にだされていた。食べたそばから貴山さんが目ざとくお代わりをよそう。Iさんが痩身に納豆餅を掻きこむ。Kさんが黙々とごま餅と向き合う。最後は皆無口になっていく。一年分くらいの餅をまとめて食した気分だった。

宴がはねたのは夜も大分更けたころだった。礼をいいながら屋外にでると月のない空は真っ暗に近かった。すっかり冷え切った夜の空気の中、宿へと戻る。


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「仏の座、在来亜種、名前知れず」
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翌朝、隣で寝ていた貴山さんの携帯電話のアラーム音で目を覚ます。時刻は7時。昨晩宿の女将に朝食の時間を聞かれ「七時半でお願いします」と答えていた貴山さんを思い出し布団からでる。もう少し朝食を遅めにしてくれたらよかったのに、と思いながら。

朝食の席に着くとほとんどの参加者は寝ぼけ眼の上に、昨晩の餅でまだ腹が膨れているようだった。しかし食卓には通常の朝食に加え、鏡さんが持たせてくれた山芋をとろろにしたもの、三杯酢で和えたもの、そして昨日宿の方でウェルカムおやつとして用意されていた団子の残りがでてきた。皆で必死に詰め込んでいく。まさか食事の方が農作業よりも大変だとは予想もしていなかった。

食事を終えるとまとめた荷物を宿に預けたまま我々は自転車を借りに自転車屋まで歩いた。二日目の活動はサイクリングだ。

自転車を借りるとまずは冨士さんのお宅に向かった。昨日取り分けておいてくれた土産用の餅をピックアップするためだ。
昨晩も冨士さんの家へ行ったとはいえ、道が真っ暗だった上に今回は自転車なのでまったくルートが違う。畑の中を抜けたりしながら向かっていく。さすがに14回も田舎時間を開催しているだけあって貴山さんの土地勘はもう相当なものだ。「あれ、ここ通れるかな?」などといいながらも気付けば冨士家の畑に着く。貴山さんが様子を伺いに奥へいく。待っている間あたりを眺めていると、見たことのない紫の花を見つける。
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「いないみたいだから家に直接行こう」
草笛を加えながら戻ってきた貴山さんがいった。私は貴山さんの自転車に並走して先ほど見つけた花の名前を尋ねた。
「えーと、仏の座の在来亜種、名前知れず」
感服だ。

冨士家につくとおじいさんがニコニコ顔で迎えてくれた。餅だけピックアップして暇を告げようとすると、お母さんが「裏のすももがキレイだから写真を撮っていきなさいよ」というので従う。

お母さんを先頭に裏の畑へと向かう。雑草の生えている通路をずかずかと進んでいく。しかしお母さんの後についていく参加者たちはどこか遠慮気味に歩いている。というのもその通路にたくさんの「仏の座、在来亜種、名前知れず」が咲いていたからだ。
面白い。
この田舎時間の参加者は、総じて普通の人よりも自然に対する意識と関心は高いだろう。だから雑花といえでも、咲いている花を無下に踏みつけていくことはできない。しかしリアルな自然との闘いの中で生きている人々にとって雑草は雑草であり、それに花が咲いていようがなかろうが、それはただの除草の対象にすぎない。そこには「どんなお花も同じように大切」的綺麗事の入り込む余地はない。徹頭徹尾リアルな世界なのだ。

お母さんが強く勧めるだけあり、満開のすももは見事だった。写真などを撮っているとどこからか「アスパラだ」という声が上がった。なんと野生のアスパラが無造作に生えているのだった。
「ああ、アスパラは多年草だからね。抜いてあげないとどんどん育っていっちゃうのよ」
どこまでもリアルにお母さんが言った。
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最後に野に育っているわけぎを使っての草笛の作り方を教わり、一同は冨士邸を後にした。サイクリングの開始だ。


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「サイクリング、上り坂」
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サイクリングの目的地は萱滝。途中、ラフランスのソフトクリームを食べてから萱滝まで向かい、帰りは「原口そば」という有名蕎麦店で昼食をとり、その後時間があれば斉藤茂吉記念館に向かうという道程。全部で20km以上はあるだろうか。なにはともあれ、我々は貴山さんを先頭にして出発した。 クリックすると大きな画像が出てきます。

途中川を渡ったり、畑を横切りながらどんどん進んでいく。すれ違う人たちとは自然と「こんにちは」と挨拶を交わす。畑の横の坂を立ち漕ぎしていると、農作業をしているおじさんから「頑張れ」と声をかけられる。昔は冷たくて人情がないと思っていた東京にいつの間に慣れきってしまっていた自分に気付く。ペダルを漕ぐ。 クリックすると大きな画像が出てきます。

次第に辺りの景色にぶどうやラフランスの畑が増えていく。いずれも垂直に伸びた幹から枝が水平に広がっていくように伸びていく。ある畑の横を横切ったとき、あまり高くない位置で水平に広がる枝をみて、背の高い人は収穫が大変だろうなと独りごちると、貴山さんはいとも当たり前かのように「ああ、あの枝の高さは農家の人の背の高さにあわせてるんだよ」と。いやはや。

第一目的地であるラフランスのソフトクリームを食べさせるコーヒーショップに到着。と思ったら、この季節はまだ休業しており初夏まで開かないという。そのことを知ったときの貴山さんの落胆振りはいつもクールな貴山さんらしからぬものだった。馴染みの農婦に断り湧き水だけ飲ませてもらった帰りにも「本当においしいんだよ」と最後まで諦めきれぬ様子だった。

ソフトクリームを食べ損なったコーヒーショップからすぐのところに大黒屋という古い農家を再現した建物についた。ここでは田舎時間でもわらじ作りに使ったり、地元の方との交流会に使ったりしたことがあるという。一通り見物してサイクリングを続ける。

そこからしばらく走ると「あとはもうずっと真っ直ぐだから」と貴山さんが告げ、後は各々自分のペースで漕ぐ。ただただ自転車を漕ぐだけの作業。時折近くの人と言葉を交わすこともあるが、基本的には自分で漕いでいくだけ。それでも退屈どころか非常に気持ちの好い時間が過ぎていく。それが澄み渡ったアウトドア日和の空によるものなのか周囲の大自然によるものなのかわからないが、とにかくそのような環境の中ペダルを踏み続けていると日常の一切の些事から解放されている自分に気付く。
自分がここで自転車を漕いでいること、目の前を他の参加者が走っていること、太陽が大きく優しく輝いていること、木蓮が大輪の花をさかせていること。それらの一切喝采がすべて至極自然なことのように感じられる。調和。サイクリングも馬鹿にしたものではない。

しかしそんな調和も長い上り坂の前にはぶっ飛んでしまう。行きは基本的にはずっと上り坂だと聞いていたが、見事なまでに上りばかりで下りがほとんどない。帰り道に予想される爽快さをニンジンとして自分の前にぶら下げ立ちながら自転車を漕ぐ。


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「サイクリング、下り坂」
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出発からどれくらい経っただろうか。ようやく「萱平」という看板が見えた。そこから萱滝まではもう少しあるというが、ようやく先が見えたこともあり無口になりかけたグループがにわかに活気を取り戻す。とはいえ最後に近づくにつれ平地は少なくなり徐々に山道になっていった。
途中廃校となった学校を左手にみながら坂を立ち漕ぎしていると、後からついてくる貴山さんに「その辺りで一旦待ってて」と言われた。
皆が到着すると貴山さんは山道からちょっと奥に入った広場のようなところに立てられた石碑のようなものを指差して、あれなんだかわかる?とみんなに訊ねた。確かにその広場の存在も石碑の存在も自然にできたものというのには恣意的すぎるように思えた。みなが答えられずにいると「あれは昔のお墓。昔ここに村があったときはここは墓地だった。村の移動とともに墓地も下の方に移ったんだけれども、無縁仏だけが残っちゃっている」と解説してくれる。
ここで遅まきながらようやく気付いた。貴山さんは本当に上山に対して深い愛情を抱いているということに。もともと彼がこのプログラムの会場に上山市を選んだのは便宜的な問題だったというが、今や彼の上山に対する愛情は通り一遍ではない。だからこそ、初めて上山を訪れる参加者たちにその魅力や素晴らしさ、自分が感じた上山の美しさを残すことなく伝えようとする。彼が執拗なまでに立てた予定に拘って朝早くから盛りだくさんの内容を組むのも、ラフランスのソフトクリームを食べられずに悔しがるのも、それらは全て貴山さん自身がかつて驚き、そして魅かれたところに他ならないからなのだ。その追体験を私たち参加者にも味わって、上山を好きになってもらいたいからだったのだ。

萱滝が近づいてくると道はいよいよ急になっていった。そこから私たちは自転車を脇の雑木林に停め、歩いて滝に向かった。

着いた。

滝は上から見下ろすような形でみることができたが、急勾配を下れば滝壺まで行くことができる。あまり整備されていない山道を恐る恐る下っていき滝壺につく。マイナスイオンが辺りに充満している。これまで何度となく訪れている貴山さんが水かさの多さに驚いている。なるほど、雪解け水。ここにも自然の摂理が。 クリックすると大きな画像が出てきます。クリックすると大きな画像が出てきます。

付近でしばらく休んでから下山した。帰りは待望の下り坂。自転車がどこまでも風を切る。

楽チンの下り道の行き先は「原口そばや」。もう午後の2時近いというのに満席近い人気店だ。一味とうがらしで食べる太い麺の田舎蕎麦が心地好く喉を通っていく。

当初の予定では昼食後、斉藤茂吉記念館まで足を伸ばし桜を見る予定だったが、帰りの電車の時間を考慮して桜は上山城でみることにし、城に向かう。

途中車が通ることもなく、漕ぐ必要もない道があると貴山さんがいう。不思議に思い到着してみると、田圃の間を通る農作業車用の道路だという。舗装されたその道は基本的には平坦に見えるのだが、微妙な傾斜がついているのか本当に漕がなくとも進む。それも坂道を加速するような進み方ではなく、チンタラ、チンタラと進んでいく。景色を楽しみながら、隣の人と話しながら、ブレーキもかけず、ペダルも漕がず、野生の鷺を脇にみながら進んでいく。本当に楽園のような道だ。これはいい。

ロード・オブ・パラダイスが終わるともうそこはかみのやま温泉駅のすぐそばだった。城ももう近い。


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「上山城。桜。共同湯。いつかふたたび。」
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城に行くのは時間的制約からと言われていたので、私の頭の中で上山城は「茂吉記念館の桜の代替品」という風に勝手に決め付けていた。
しかしどうしてどうして、城の桜はこの上ない程見事だった。特に城の上の方から一面咲いている桜を見下ろす形で見る桜は見事の一言で、東京の桜の名所に勝ることさえあれ、劣るということは全くない。同時に枝垂れ桜もチューリップも咲いている城の公園は本当に春爛漫であったにも関わらず、辺りには程よい数の花見客しかおらず東京の汚らしい花見風景からみれば羨ましい限りだった。
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みんなはぎりぎりまで公園の桜を楽しむということだったが、私とIさんだけは共同浴場にいくために一足先に城を下りた。
浴場に向かったのは帰る前にサッパリしたいということも勿論あったのだが、入浴料80円のその浴場がどのようなものであるのかを見てみたいという気持ちも強かった。

「下大湯」という貴山さんお勧めの浴場の暖簾をくぐると、普通の銭湯のように番台があり、男湯と女湯に分かれている。確かに入浴料は80円だ。脱衣場は小規模な銭湯のそれそのものだった。そう思って浴室に入っていくとどこか普通の銭湯と様子が違う。誰も体を洗っていない。違和感を感じて見回してみると蛇口がないことに気付く。おかしいと思い奥を見ると、ようやく蛇口を見つけたがそこには取っ手が付いていない。取っ手は「洗髪札」なるものに付いているらしかった。つまりこの共同浴場は基本的には温まるためのものであり、体を洗ったりするためのものではないということなのだ。そしてもし髪の毛を洗ったりしたいのなら追加で70円を支払って「洗髪札」を入手しなければならない。
普通の銭湯しか知らないものから見ると一瞬変わったシステムのようにも思えるが、この地方の厳冬を考えると「ちょっとだけ温まる」ための素晴らしい施設に思えてくる。その季節は家の外で洗髪することもないだろうし。しかし設備自体は銭湯を更にシャビーにしたようなものなので、女性の来訪者には必ずしもお勧めできないかも知れない。


***

すっかり温まったIさんと私は皆と待ち合わせた駅に向かった。いよいよ上山ともお別れだ。

一泊二日という短い時間のこのプログラムは時間以上の大きなものを私に残してくれた。そしてこのプログラムは私を再度上山に導くだろう何かをプログラミングしてしまったようだ。それがこの田舎時間の本質であり、そしてDNAであるのだろうと思う。

男性の井上さんと増戸さんがホームまで見送りに来てくれた。つばさ122号がホームに滑り込む。二人にさよなら、と挨拶をしながら参加者が列車に乗る。田舎時間も終わりだ。
帰りの車中、今回のプログラムのアンケートを書き終えると参加者は次々と眠りに落ちていった。正しい疲労に身を包まれながら。

日程taro.冬眠カエルスーパー農道続く
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